【鬱病 双極性障害と共存生活】

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【鬱病 双極性傷害】精神疾患 ストレスフリー生活 そもそも発症メカニズムとは

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そもそも発症メカニズムとは

鬱病や双極性障害について、これまで教えられてきた考え方は間違いなのか?と思う事がある。

 

今回は鬱病や双極性障害へのアプローチ方法を根本から見直すことを考える。

そもそも、発症メカニズムは一般世間でいう社会との協調能力の欠如と捉われがち。

人間にはそれぞれ個性やストレスの感じ方に違いがある。

 

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当初は社会からの制約にがんじがらめになり、外的ストレスの許容範囲を越えると不調をきたす。自分の思い描く理想像に矛盾が生じ、それに合わせる事からストレスが蓄積していく。

そして許容範囲を超えて発症する。

 

前兆はあると思う。

双極性障害は鬱と躁の波が起こる事で不安定になる。

それをコントロール出来ているうちは良いが、一線を越えると制御不能に陥る。

 

脳内にはセロトニンという化学物質があって、これが不足していると気分が落ち込みやすい。薬を服用すれば気持ちもラクになると言われている。

そう診断され、一般世間のシステムに合わせようと治療を行う事がほとんどだ。

鬱病や双極性障害は、世界中で爆発的に増えています。今日、アメリカ人の5人に1人が向精神薬を、11人に1人が抗うつ薬を服用しています。

かつてないレベルで鬱病が広がり、その余波はさまざまなカタチで目や耳にします。 

 

果たして、その治療方針が正しいのか?

 

抗うつ薬を服用している人の65〜80%が引き続き鬱状態にあるという事実。

果たして、抗うつ薬が今後も絶対唯一の解決策であり続けるのか?

なぜなら、半分以上の人に効果が出ていません。確かに薬が効いている人もいますが、それは少数派なのです。 

これまで抗うつ薬について語られてきたことは必ずしも真実ではないかもしれないということ。

鬱病は脳内の化学的物質のバランスが崩れることが原因で、それを正すために抗うつ薬が必要とされてきたわけですが、その説には科学的根拠が見当たらないのです。 

しかし、それが正しいと言われ我々は服薬を続ける。

 

鬱病は脳内の低セロトニン状態が原因という説が一般的である。この説が信ぴょう性を失ったわけではない。

だが、そもそもこの説が信用された時代などなかったのだ。専門家の半数以上がこの説を信じたことなどなかった。

抗うつ薬研究の現場でもそうだ。見栄えの良い研究結果のみが強調された。

少数の臨床結果により導き出された結果に過ぎない。

 

これまで鬱病は頭のなかの問題、脳の機能不全が原因とされてきたが私の得た見解は違った。

鬱病や双極性障害は、全てではないが生き方に対する反応だと思われる。 一般世間の風潮、常識と言われるものに自分の中で矛盾が生じ拒絶反応するものなのです。

ある意味では特別に備わった特殊能力とも受け取れる。ある意味ではワガママで奇人変人とも言われる。

 

深く理解するほどに、鬱病は「私たちの暮らしで起きていることへの反応」という考え方がもっともなことに思えてくる。 その反応を受け入れる事が出来ずに自己処理が上手くいかず、いずれ双極性障害という深みににハマってしまうと考えています。

 

大変興味深かったのは、仕事に対する人々の姿勢についての世論調査です。仕事が「大好き」「楽しい」「楽しみ」と回答した人は全体のわずか13%、好きでも嫌いでもない「仕事に対する無意識な行動」とも言える人が63%、「嫌い」「大嫌い」「恐い」が24%でした。つまり、回答者の実に87%が好きでもないことに1日の大半を費やし、仕事が「大好き」より「嫌い」になる可能性も約2倍。なかなか信じがたい結果です。 

しかし、この世の中の仕組みを考えると当然の結果だと思う。

 

人間には生まれながらにして自分がしていることに意味や目的を持ちたい欲求があります。しかし、常に管理された状態にあると自主性が持てず、自分がやっていることに意味を見いだせず、自身がつまらない存在に思えてきます。 

そのストレスが蓄積し、許容範囲を越えると鬱状態に陥り、この症状が日常化していくと心との乖離が生じる。

そして感情の起伏が自己処理出来なくなり、双極性障害へと変化してしまう。感情のコントロールが出来なくなってしまう。

 

社会的に適応出来なくなるのではなく、社会が自分に適応していないと気付く事も大切である。 

それには、守るべきものがあったり社会的地位などのプライドが邪魔をして、素直になれず深みにハマる怖さがある。

実はそんな小さなプライドはほぼ無意味に等しい。自分は自分であり、他人は他人である。

 

人生は一度きり。

一旦、全てを捨てても良いと思う。それは特別な個性であり、それが自分だからであるから。

敷かれたレールは全て正解ではない。私はそれに気が付いた事だけでも大きな収穫だ。

多様性や自己観念を尊重する事も大事。

しかし、発症してしまうと完治は難しい。寛解は見込めるだろうが脳内回路が確立してしまっている為、外的トリガーが有った場合、再始動は簡単だ。

なので共有、共用、方向性が同じベクトルを探す方が長く今後の安定に繋がる可能性が高い。

 

この世の中は知らない分からない事ばかりだ。塞ぎ込まずに色々と触れる事を勧める。

ハッキリ言って可能性は無限。

周りに合わせる事より自発的に探究心を求める事の方が将来的に有望であると考えている。

自らストレスフリーへ導く考え方へとシフトするのである。

 まとめ

ブログもそう。

共感者と繋がる事も可能であるし、似た症状でも多少の価値観の違いなら共感出来る事が多い。自分にもプラスに働き視野が広がる。他者視点から自己観念の多面的な考えが生まれ価値観が広がる。

 

一旦、フラットにし世間との距離感を持つことによって、自分をストレスフリーの環境に整える事も一つの大きな方法であると思っている。